日本を代表する夏祭り「博多祇園山笠」は、令和五年で七百八十二年の歴史を積み重ねました。令和二年に蔓延した「新型コロナウイルス」は、今も社会に影響を与えています。それでも令和四年に舁き山笠行事を復活させることが出来ました。一部の行事は縮小せざるを得ませんでしたが、本年は全ての行事が今まで通り行えるように努力する所存です。
博多祇園山笠は鎌倉時代の仁治二(一二四一)年、禅宗の高僧・聖一国師が施餓鬼棚から祈祷水をまいて、疫病退散を祈願したことが始まりです。たゆまぬ継承への努力が評価され、昭和五十四年に国重要無形民俗文化財、平成二十八年にはユネスコ無形文化遺産に登録。その価値も高まっております。
令和四年に改定した感染拡大予防ガイドラインを参加者全員が守り、齋行できたことは、他の全国の祭りを勇気付けました。「ウィズコロナ」時代の祭りの先鞭をつけたと評価して頂いております。ただ、いまだコロナへの警戒を緩める訳にはいきません。今後も三密防止のため公共交通機関と「追い山笠」臨時列車の休止などの協議を進め、安全安心な運営に尽力して参ります。観覧の皆様も個々に感染防止対策をお願い致します。大勢の男たちが駆ける見物には危険も伴います。お子様がケガをしないように、ともに手を携えて伝統継承をお願い致します。
福岡市の夏祭り・博多祇園山笠を運営する団体で、祭りに参加する全流(舁き山笠、飾り山笠)で構成しています。
博多祇園山笠は戦前まで、山笠を建てる博多七流が順番で全体をまとめてきました。つまり、毎年繰り上がって”一番山笠“になった流が世話をしてきたのです。
しかし、戦後、新しい流の参加や、社会との接点が多くなるにつれて常設の組織が必要となり、博多祇園山笠振興期成会が誕生。昭和三十年、それを発展させた博多祇園山笠振興会の結成をみたのです。
発足当時から各舁き山笠から選ばれた本部員と、その年の各流総務で”総務会“をつくり、年五回、各流の山笠委員を交えた役員総会を開き、運営の細部まで討議して決定する仕組みです。
みなさまの支持のもと、祭りが「安全・安心」に遂行され、楽しい時間を共有することが振興会の願いであります。
令和五年度 博多祇園山笠振興会 役員 | |
宮司 | 阿部 憲之介 ( Kennosuke Abe ) |
会長 | 武田 忠也 ( Tadanari Takeda ) |
副会長 | 川口 俊二 ( Shunji Kawaguchi ) |
副会長 | 金子 俊明 ( Toshiaki Kaneko ) |
顧問 | 豊田 侃也 ( Kanya Toyoda ) |
相談役 | 南原 茂 ( Shigeru Nanbara ) |
相談役 | 井上 貴博 ( Takahiro Inoue ) |
相談役 |
井上 博行( Hiroyuki Inoue )
|
参与 | 本山 道徳 ( Michinori Motoyama ) |
参与 | 後藤 久義 ( Hisayoshi Goto ) |
参与 | 古川 史郎 ( Shiro Furukawa ) |
参与 | 堀 武志 ( Takeshi Hori ) |
本部員 会計 | 樋口 葛尚 ( Katsuhisa Higuchi)(大黒流) |
本部員 事務局長 | 瀬戸 浩隆 (Hirotaka Seto )(恵比須流) |
本部員 会計 | 正木 研次 ( Kenji Masaki )(土居流) |
本部員 庶務 | 梅津 竜次 ( Ryuji Umetsu )(東流) |
本部員 広報 | 黒葛川 雅広 (Masahiro Tsuzuragawa )(西流) |
本部員 庶務 | 松尾 恭弘 (Yasuhiro Matsuo)(千代流) |
本部員 広報 | 井上 倫清(Tomokiyo Inoue) (中洲流) |
令和五年度 博多祇園山笠振興会 総務 | |
一番山笠 土居流 | 金子 俊明 ( Toshiaki Kaneko ) |
二番山笠 大黒流 | 木村 信博 ( Nobuhiro Kimura ) |
三番山笠 東流 | 山口 浩志 ( Hiroshi Yamaguchi ) |
四番山笠 中洲流 | 副田 直一郎 ( Naoichiro Soeda ) |
五番山笠 西流 | 遠藤 和博 ( Kazuhiro Endo ) |
六番山笠 千代流 | 川口 俊二 ( Shunji Kawaguchi ) |
七番山笠 恵比須流 | 岩本 宏憲 ( HIironori Iwamoto ) |
八番山笠 上川端通 | 長﨑 正洋 ( Masahiro Nagasaki ) |
九番山笠 天神一丁目 | 松尾 健児 ( Kenji Matsuo ) |
十番山笠 渡辺通一丁目 | 中野 賢二 ( Kenji Nakano ) |
十一番山笠 福岡ドーム | 安積 研二 ( Kenji Matsuo ) |
十二番山笠 博多駅商店連合会 | 髙力 夏男 ( Kouriki Natsuo ) |
十三番山笠 キャナルシティ博多 | 下田 圭一 ( Keiichi Shimoda ) |
十四番山笠 川端中央街 | 竹ケ原 政徳 ( Masanori Takegahara) |
十五番山笠 ソラリア | 児玉 泰士 ( Taishi Kodama) |
十六番山笠 新天町 | 楢﨑 慶司 ( Keiji Narazaki ) |
十七番山笠 博多リバレイン | 山本 成嗣 ( Seiji Yamamoto ) |
初代 落石 栄吉 氏 昭和30年~32年
戦後、博多祇園山笠の復活に尽力。 昭和二十四年結成の博多祇園山笠振興会に引き続き、会長を務めた。 著作に「博多祇園山笠史談」「戦後博多復興史」がある。二代 井上 吉左衛門 氏 昭和32年~59年
四半世紀にわたり博多祇園山笠の発展に功労。 博多地区の町界町名整理に伴う流の再編成に力を発揮。また、初めての海外遠征(昭和55年/ハワイ)を成功させた。三代 中村 茂 氏 昭和59年~62年
副会長として長く井上氏を補佐。井上氏の辞任を受け、三年間、会長職を務めた。 法被の似合う粋な人柄で、全体をまとめ上げた。実務派で、ハワイ遠征を支えた。四代 樋口 武之助 氏 昭和62年~平成3年
実務に強く、会長としてオーストラリア遠征(昭和63年)、ニュージーランド遠征(同)を成功させた。 温和な性格で、振興会の融和にも功績は大きい。五代 井上 雅實 氏 平成4年~8年
公務(県会議員)多忙の中、二期四年にわたり最高責任者として職務に励む。六代 石橋 清助 氏 平成8年~13年
二十一世紀に向う博多祇園山笠の足固めに尽力があった。七代 後藤 久義 氏 平成13年~18年
振興会50周年の平成16年に記念式典開催のほか、資料展、記念誌の刊行、上海遠征などを成し遂げる。 17年には全国都市緑化ふくおかフェア(人工島)の山笠舁きなども実現した。八代 波多江 五郎 氏 平成18年~19年
国指定無形民俗文化財の伝統や品格を守ることに尽力。念願の「博多祇園山笠」「博多山笠」の商標登録を実現した。一方でみんなが楽しめる祭りの遂行に努めた。九代 瀧田 喜代三 氏 平成20年~25年
博多山笠を世界に発信したい、という大きな目標を持ちつつ、一方で祭りの斎行には細心の注意を払った。それが「安全第一」であり、「市民に支持される祭り」であった。「集団山見せ」の復路変更は交通の渋滞緩和につながる英断と評価が高い。十代 豊田 侃也 氏 平成26年~令和元年
市民に愛される祭りを標榜した。就任の年に振興会創立60周年記念式典を挙行。ユネスコ無形文化遺産の登録が実現し、世界の宝に認められたことは山笠史に残る壮挙だった。福岡市でのお披露目巡業も九州五つの祭りをリードし成功へと導いた。