【舁き山笠】三番山笠 西流

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表標題

 洗濯日本致申候(にっぽんをせんたくいたしもうしそうろう) 
                
人形師

西川 直樹    

内容説明
「幕末の風雲児 坂本龍馬」坂本龍馬は一八三五年土佐藩(高知県)にて郷士の五人兄弟の末っ子として生まれる。青年期は江戸の三大道場の一つである北辰一刀流の千葉道場で剣術に励み塾頭まで務めた。土佐に戻り尊王攘夷運動に参加するが疑問を感じた龍馬は、久坂玄瑞との出会いで志のある人々が立ち上がらなければならないと教えられ土佐藩からの脱藩を決意する。幕臣の勝海舟の門下生となり勝の建言で設立した神戸海軍操練所に入所、そこで航海術などを学ぶ。薩摩藩の援助を受けて日本初の株式会社となる亀山社中を長崎に設立、薩摩や長州の交易を支援することで薩長同盟の締結に携わる。その後、土佐藩との関係を修復し援助を受けて海援隊となる。土佐藩船、夕顔丸の中で明治維新の礎となった新国家体制の基本方針である船中八策が作られ数か月後に新政府綱領八策を起草。江戸幕府の自主的な政権放棄となる大政奉還を実現するも、その一か月後の一八六七年十一月十五日、京都で暗殺され三十三歳で生涯を閉じた。「日本を今一度洗濯致し申候」とは一八六三年に龍馬が姉の乙女に出した手紙の中で使われた表現で、長い幕藩体制で錆び付いた日本をもう一度洗濯して錆を洗い流し、新しい近代国家として再建したいという熱い思いが込められた言葉です。近年の日本は長年続く政治不信また人口減少や技術革新の遅れ、経済の疲弊などにより国力が低下したと言われています。時代は違いますが今こそ、世界で活躍する日本を再建すべき時です。日本を今一度洗濯致しましょう。そのような意味も込めまして、この標題と致し申し候。
 

総務:細川 克哉

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