【飾り山笠】番外 櫛田神社

<<飾り山笠紹介
                                                                                            表標題
 倭建之西征(やまとたけるのせいせい
人形師

小島 慎二

内容説明

小碓(おうす)(のみこと)(ちち)(けい)(こう)天皇(てんのう)朝夕(あさゆう)宮中(きゅうちゅう)行事(ぎょうじ)参加(さんか)しない兄、大碓(おおうすの)(みこと)を教え(さと)すように(めい)じられました。しかし小碓(おうすの)(みこと)は、(けい)(こう)天皇(てんのう)(めい)(したが)わず、(あに)(ころ)してしまいます。(けい)(こう)天皇(てんのう)小碓(おうすの)(みこと)猛々(たけだけ)しく(あら)性格(せいかく)(おそ)れ、皇子(みこ)(とお)ざけるため、西(にし)彼方(かなた)朝廷(ちょうてい)(さか)らって(したが)わない熊曽(くまそ)()(たける)(おと)(たける)兄弟(きょうだい)()(ほろ)ぼすように(めい)じました。旅立(たびだ)ちにあたり、叔母(おば)倭比賣(やまとひめの)(みこと)から、衣装(いしょう)(つるぎ)()り受けて旅支度(たびじたく)(ととの)えて、意気揚々(いきようよう)旅立(たびだ)ちました。

小碓(おうすの)(みこと)幾多(いくた)苦難(くなん)()()えて、(なが)旅路(たびじ)()てに熊曽(くまそ)兄弟(きょうだい)()(しき)辿(たど)()きました。小碓(おうすの)(みこと)(あた)りの様子(ようす)(うかが)っていると、兵士(へいし)(たち)三重(さんじゅう)になって屋敷(やしき)(まわ)りを()り囲み、屋敷(やしき)警護(けいご)しています。どうやらこの屋敷(やしき)新築(しんちく)で、屋敷(やしき)人々(ひとびと)(いわ)いの(うたげ)(もよお)そうと、(いそが)しく(うご)(まわ)っているところでした。

日数(ひかず)(かさ)ねて、(うたげ)当日(とうじつ)(むか)えました。小碓(おうすの)(みこと)(たば)ねた(かみ)()き、()()から()()けた女物(おんなもの)衣装(いしょう)()(まと)い、着物(きもの)の下に(つるぎ)(しの)ばせて(うるわ)しい童女(どうじょ)変装(へんそう)して、屋敷(やしき)(まぎ)()みました。熊曽(くまそ)兄弟(きょうだい)童女(どうじょ)(ふん)した小碓(おうす)(みこと)大層(たいそう)気に()って、二人(ふたり)(あいだ)(すわ)らせて(うたげ)(たの)しみました。  そして(えん)(たけなわ)となった(ころ)に、小碓(おうすの)(みこと)(かく)()っていた(つるぎ)即座(そくざ)()いて、()(たける)(えり)(つか)んで(つるぎ)(むね)()()てました。小碓(おうすの)(みこと)は、(おそ)ろしくなって()()した(おと)(たける)をすぐさま()いかけて、階段(かいだん)背後(はいご)から()りかかりましたが、致命(ちめい)(しょう)には(いた)りませんでした。すると(おと)(たける)は、()いたいことがあるので()ってほしいと嘆願(たんがん)しました。そこで小碓(おうすの)(みこと)(とどめ)めを()すのを()ちました。小碓(おうすの)(みこと)(あふ)れる気品(きひん)と、勇猛(ゆうもう)ぶりにすっかり感服(かんぷく)した(おと)(たける)は、「貴方(あなた)尊号(そんごう)(たてまつ)り、これからは(やまと)(たけるの)(みこと)(たた)えましょう。」と()いました。それを()くと、小碓(おうすの)(みこと)(つるぎ)(おと)(たける)(とど)めを()しました。これより(のち)小碓(おうすの)(みこと)(やまと)(たけるの)(みこと)()ばれることとなります。

この(かざ)山笠(やまがさ)は、(けい)(こう)天皇(てんのう)(めい)じられた(やまと)(たけるの)(みこと)が、童女(どうじょ)(ふん)して(うたげ)の席で(さけ)()った熊曽(くまそ)兄弟(きょうだい)()(ほろ)ぼす名場面(めいばめん)です。


                                                                                      
見送り標題

船弁慶(ふなべんけい)


人形師

人形司 武平

内容説明

(みなもと) 義経(よしつね)は、平家追討の功績を立てた後、兄の(より)(とも)に思いがけない疑惑をもたれて、鎌倉方から身を追われてしまいます。  

ある日の夜、その事態に義経は、密かに武蔵坊(むさしぼう)弁慶(べんけい)をはじめとする忠実な従者(じゅうしゃ)とともに、西国へ逃れようと、淀川を下って摂津(せっつ)(のくに)(兵庫県)の大物浦にたどり着きます。

 義経達と共に同行していた愛妾(あいしょう)靜御前とこれ以上、困難な道のりを進むことは難しいと感じた弁慶は、義経に進言をして、靜御前を都に戻すことにします。

 悲しむ靜御前は、別れの宴で舞を披露し、義経一行の未来を祈り、再会を願いながら、涙ながらに見送ります。

 静御前を気遣い、出発をためらう義経に対し、弁慶は説得をして、強引に船頭に出航を命じます。

 船が海上に出ると突然、暴風雨となり、波が船に押し寄せ、船頭は必死に船を操ります。

 すると嵐の中、義経に壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の亡霊が波間に現れます。

なかでも、凄惨(せいさん)最期(さいご)をとげた総大将 (たいらの) (とも)(もり)の怨霊は、是が非でも義経を海底に沈めようと、波の上に浮かび上がり、長刀(なぎなた)を大きく振りかざしながら、悪風を吹きかけ、執拗(しつよう)に襲いかかります。

 その状況に弁慶は、数珠を押し揉んで不動明王をはじめとする五大尊明王に一心不乱に祈祷を捧げます。

やがて、夜が明ける頃、(ようや)く怨霊は引き潮の流れに乗って波の彼方に消えたのであります。

 

 この飾り山笠は『船弁慶』の一場面であります。

 


 

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