【飾り山笠】 中洲流

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中洲流
 
中洲四丁目の中洲大通りに建つ。テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。
中洲は九州一の歓楽街。周囲はクラブ、スナックなどで、夜ともなると心の解放を求める酔客でにぎわう。分かりやすさも考慮。(博多区中洲四丁目)
 


表標題

攻防千早城こうぼうちはやじょう

人形師

三宅隆

内容説明

元弘二年(一三三二年)護良親王が吉野で兵を挙げると、楠木正成は千早城にたてこもり、敵の幕府軍は大軍を送って攻めさせましたが、千早城はどうしても陥落しません。東と西の深い谷で囲まれ、南と北には険しい峰もそびえ立つ所です。楠木勢は僅か千余騎、正成は山上から大石や材木を転がり落としたり、深い谷にかけ橋を作って、進んでくる敵にはたいまつに火をつけて橋の上に投げ落とし、相手を寄せ付けません。こうして幕府軍の総攻撃は失敗して戦意を無くしてし まいました。幕府軍に加わっていた新田義貞が護良親王を受けて本国へ引き上げたのを始め、逃げ出す将兵が日毎に数を増して、敵の軍勢はいつか半分になってしまいました。こうしているうちに幕府を倒そうとする反乱が全国に起こり始めました。
 



見送り標題

老公妙案救天下ろうこうみょうあんてんかをすくう

人形師

中村信喬

内容説明

水戸老公は旅を終え江戸に戻り、佐々木助三郎と渥美格之進と八兵衛が老中の大久保加賀守の篤龍が襲われているところに遭遇し、狼藉者を退ける。襲ったのは 元但馬出石藩士(清治郎)で、妹沙耶が城務めをしていて粗相で徳川家康拝領の茶碗を割ってしまった。そのことで藩が改易になるのを阻止しようと加賀守の殺 害を狙っていた。加賀守の屋敷で舞踊の会があると聞いた沙耶は、懐剣を忍ばせて舞う。危ういところでお娟が止め、老公の妙案で加賀守を茶会に招き、徳川家 と出石藩両方の徳となる方法を授け、両者を助け天下無事を将軍綱吉に伝え、目出だし目出たしの場面である。
 

総務 川原正孝
今年は七番ということで、目立つよりきっちり殿をつとめた武人・楠木正成公を起用しました。
震災後の東日本に博多から元気を発信したいと思っています。
中洲流は歴代、優雅にきっちりまわってきましたが、今年はそれに「力強さ」を 加え、がむしゃらさになって被災地の皆様に元気を伝えたいです。

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