【飾り山笠】 一番山笠 中洲流

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表標題

奇襲桶狭間合戦(キシュウオケハザマノカッセン)
                                  
人形師

三宅 隆

内容説明
永禄三年(1560年)五月のこと、今川義元は二万五仟の大軍をひきいて西上の途に就いた。義元は尾張を侵攻し、織田信長の居城である清州を抜こうとして、桶狭間に向かったが、田楽狭間に陣を占めた。信長は十九日の未明、僅か二仟の手兵を連れ折からの激しい風雨を衝いて、義元の本陣を急襲した。不意をつかれた義元軍は、大混乱に陥り西上の夢も空しく田楽狭間の露と消えた。この奇襲作戦により、信長を一躍、海通の覇者に押し上げ『天下布武』の道を歩く事になる。


見送り標題

本能寺の変(ホンノウジノヘン)
                  
人形師

中村 信喬

内容説明
天正十年六月二日(一五八二年六月二十一日)の早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が家臣明智光秀により襲撃された事件である。場面は、当時の正親町天皇(おおぎまちてんのう)を最上段に配置して、織田信長が弓を手にして立ち、小姓の森蘭丸が刀を抜き放ち、明智家臣、斎藤利三(さいとうとしみつ)が今正に槍を構え信長を撃たんとする姿を中段に配置して、下段に明智惟任日向守光秀(あけちこれとうひゅうがのかみみつひで)が『敵は本能寺に有り』と言い采配を振っている姿を製作いたしました。
 
総務:井上 貴博

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