<<平成二十四年度バックナンバー 六波羅合戦(ろくはらのかっせん) 生野四郎 保元の乱の後、藤原信西が後白河天皇(後、上皇)の側近として政治の実権を握っていたが、藤原信頼と源義朝ら反信西派は、平治元年十二月、平清盛が熊野参詣に赴いた隙をついて、院の御所三条殿を襲撃する。 急いで京都に戻った清盛は、...
<<平成二十四年度バックナンバー 飛燕五条橋(ひえんごじょうばし) 置鮎 琢磨 有名な源義経と武蔵坊弁慶の出会いの場面。京の都で道行く人から太刀を奪って恐れられていた弁慶はある夜、五条大橋で牛若丸と出会う。牛若丸は、ひらりひらりと弁慶の大薙刀を交わし、敵わぬと見た弁慶はついに降参し家来となることを...
<<平成二十四年度バックナンバー 源平えびらの梅(げんぺいえびらのうめ) 中野 親一 「八犬伝」とは正しくは「南総里見八犬伝」と云い、江戸時代の文豪曲亭馬琴が著した長編小説です。戦国時代の房総里見氏の歴史を題材にして、「勧善懲悪」「因果応報」を主題とした物語です。 歌舞伎でも「芳流閣の場」は見せ場...
<<平成二十四年度バックナンバー 天下決戦壇ノ浦(てんかのけっせんだんのうら) 置鮎正弘 木曽義仲に京都を追われた平家一門は西へ西へと逃れ、一の谷、屋島と敗走。平知盛は関門海峡に浮かぶ彦島に背水の陣をしきました。平知盛は門司の田野浦に 船団を集め、源義経の陣は満珠・干珠島に船団を集めました。 「吾...
<<平成二十四年度バックナンバー 不動隻眼立奥州(ふどうのせきがんおうしゅうにたつ) 亀田 均 伊達家十七代となる政宗は、永禄十年、輝宗の嫡嗣として米沢城に生まれた。若き日の政宗は戦国の大名らしく荒々しかった。この山笠は十九歳の隻眼(独眼) の政宗が畠山吉継軍内に拉致された父親がいるにもかかわらず...
<<平成二十四年度バックナンバー 大刀一閃巴武勇(だいとういっせんともえのぶゆう) 田中 比呂志 寿永三年(一一八四年)宇治川の戦いで敗れ、都を追われた木曽の義仲は、己の運命の行く先を覚り、今井四郎兼平と共に最後の合戦に臨んだ。義仲の軍隊三百 余騎は甲斐の一条次郎の軍隊六千余騎の中に突進し、四方八...
<<平成二十三年度バックナンバー 怪童金太郎(かいどうきんたろう) 川崎修一 平安時代の武将、源頼光の四天王の一人、坂田公時は子供時代金太郎と呼ばれていました。相模の足柄山に住み、熊や猿や兎達と仲良く遊び、逞しく大きくなっ て行きました。普通は怪童と云いますが敢えて快童とし、これからの日本、みんな...
<<平成二十三年度バックナンバー 鉄槌舞春風(てっついしゅんぷうにまう) 亀田均 平安朝時代、豊後の国守に百合若という若い武将がおりました。鉄の弓矢で勇ましく戦う強くて逞しい男で、妻の春日姫とともに領民に慕われていました。ある時、百合若は朝廷より新羅討伐の命を受けます。戦いには勝利するものの、帰路...
<<平成二十三年度バックナンバー 曽我富士誉(そがふじのほまれ) 田中比呂志 曽我兄弟の仇討ちは建久四年五月二十八日(一一九三年六月二十八日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、日本最大仇討ちの一つである。 総務 嶋田高幸 表...
<<平成二十三年度バックナンバー 常行一直心(つねにいちじきしんをぎょうず) 宗田智幸 正直で純一無雑な心。煩悩妄想で覆われることもなく。思慮分別や、小賢さで毒されることもない。素直で清純な心のこと。いつでも、どこでも、何事をするに も常にただこの直心を働かせて余念のないこと。平安時代、大陸より伝...
<<平成二十三年度バックナンバー 楠公湊川之奮戦(なんこうみなとがわのふんせん) 中村信喬 後醍醐天皇の命により足利軍と戦うことと成った楠木正成公。友軍の新田軍は本陣を二本松に置き、水軍の上陸に備えた。楠木軍は湊川の西側。合戦では、足利 直義軍の陸上軍は、西国街道を進み、少弐頼尚は、和田岬の新田軍...
