新着情報

【飾り山笠】 十一番山笠 博多リバレイン

<<飾り山笠紹介 大化の改新 乙巳の変(たいかのかいしん いっしのへん) 生野 四郎 飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年、西暦646年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。この政治改革は、皇極天皇4年6月12日(西暦645年7月10日)、蘇我入鹿を討ち、翌日、権勢を誇って...

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【飾り山笠】 十番山笠 新天町

<<飾り山笠紹介 神話稲羽之素菟(しんわいなばのしろうさぎ) 亀田 均 八上比賣に求婚するため稲羽(因幡)に向かう八十神(兄たち)について、荷物を入れた袋を背負って大国主命が海辺を歩いていると、丸裸の菟が倒れていました。兎は鮫を騙して海に並ばせ。淤岐(隠岐)島から海岸まで渡ろうとしたが、渡り切る直...

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【飾り山笠】 九番山笠 ソラリア

<<飾り山笠紹介 挙旗筑紫武王門(つくしのぶおうのもんにはたをあぐる) 置鮎 正弘懐良親王は建武の新政をおこなった後醍醐天皇の皇子で、南北朝の動乱期にあって九州に派遣され、北朝方との戦を制して太宰府に「征西将軍府」を樹立し、明の初代皇帝太祖に施設を派遣し「日本国王」の称号を得るなど、室町時代に独自...

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【飾り山笠】 八番山笠 上川端通

<<飾り山笠紹介 神武東征誉(じんむとうせいのほまれ) 田中 勇 日本神話において初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち多大な試練と苦難を経て大和を征服。橿原宮で即位するまでを記した物語である。 三人形(みつにんぎょう) 田中 勇 歌舞伎舞踊の中で江戸吉原仲の町を丹前武士、円前奴、傾...

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【舁き山笠】 七番山笠 西流

<<舁き山笠紹介 道一筋不謁二君(みちはひとすじ にくんにまみえず) 西川直樹 立花宗茂は、大友氏の重臣筑前国太宰府岩屋城主、高橋紹運の長子として生まれる。同重臣であった香椎立花山城主、立花道雪に請われ、道雪の娘を妻にし、立花家に婿入りする。天正十四年、九州制覇を目論んでいた薩摩の島津氏が、宗茂が...

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【舁き山笠】 六番山笠 中洲流

<<舁き山笠紹介 神武中洲志(じんむちゅうしゅうをこころざす) 溝口 堂央 初代天皇である神武天皇は、大業を広め天下を統治するために日向から世界の中心地 中洲を目指し東へ旅立ちます。幾多の試練や苦難を乗り越えついに大和を平定し中洲(橿原(かしはら))の地に宮殿を建設し日本を建国致しました。この場面...

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【舁き山笠】 五番山笠 東流

<<舁き山笠紹介 度胸千両散如花(どきょうせんりょうちるははなのごとし) 白水 英章 意味 覚悟を決め、事に臨む様には、まるで散る前の花のような美しさがある。平安時代の大盗賊として名を残す熊坂長範(くまさかちょうはん)は、六尺八寸の長刀を振るう豪傑で七歳にして初めての盗みを働いて以来、一度も不覚を...

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【舁き山笠】 四番山笠 大黒流

<<舁き山笠紹介 一片好風光 (いっぺんのこうふうこう) 西山 陽一 ここにあるもの全てが素晴らしい。倒幕派、佐幕派どちらも国を憂い、活動した。どちらが正しいとか、勝ち負け、好き嫌いなど偏った見方をしない。「陰陽不倒処」 陰・陽など相対的な世界を突き抜けることだ。突き抜けると、そこは絶対の世界が光...

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【舁き山笠】 三番山笠 土居流

<<舁き山笠紹介 武藏坊辯慶(むさしぼうべんけい) 中村 弘峰 平安末期、紀伊の国出身と言われているが、多くのことが謎に包まれている豪傑、武蔵坊弁慶。標題は、江戸期に多く描かれた浮世絵に着想を得ているため、旧字表記とした。弁慶は京で千本の太刀を奪おうと悲願を立てる。弁慶は道行く人を襲い、通りかかっ...

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【舁き山笠】 二番山笠 恵比須流

<<舁き山笠紹介 福德圓滿譽(ふくとくえんまんのほまれ) 人形司 武平 七福神の中でも恵比須様は、大黒天とともに材福を授ける福の神ですが、櫛田神社境内にある夫婦恵比須神社は男神・女神の夫婦神として奉祀され夫婦でお参りすると、夫婦円満のご加護があるとされています。これは他に全く例を見ないお社で、今日...

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舁き山笠紹介(令和元年度)

 十数か町(旧町)を束ねた組織の呼称。 今では博多祇園山笠や博多松囃子といったお祭りで耳にするだけであるが、江戸時代を通して日常生活に密着した自治組織だった。現在の校区自治連合会に相当するといえるのではないか。 大陸貿易で栄えた博多は戦国時代、せめぎ合う大名、豪族の争奪の場となり、兵火に遭って焼け野原と化した...

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広報用写真ー平成30年度

 博多祇園山笠振興会で保有している写真データを提供しています。 下記の「手順」、「注意事項」をご確認のうえ申し込みをお願いい たします。 【手順】 下記「提供写真一覧」よりお選びください。(写真はなるべく最新の写真からお選びください。平成30年度が一番の最新になります) 写真をご利用になる媒体の企画書をご用意...

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【飾り山笠】 七番山笠 中洲流

 <<飾り山笠紹介 長政関ヶ原武勲(ながまさせきがはらのぶくん) 三宅 隆慶長五年(一六〇〇年)九月十五日、美濃国関ケ原で徳川家康方の東軍と石田光成方の西軍が激突。 世に言う『関ケ原合戦』である。この戦いで東軍に加わった黒田長政は合戦の先陣を務めて大いに武功を表した。戦いは一進一退の攻防を繰り返し...

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【飾り山笠】 番外 櫛田神社

<<飾り山笠紹介 日本武尊征熊襲(やまとたけるのみことくまそをうつ) 川崎 修一景行天皇の息子である小碓尊は、父の命を受けて朝廷に従わない西方の豪族である熊襲(現熊本県人吉市周辺から現鹿児島県霧島市周辺)の魁師(首長の意)・川上梟帥の征討に向かいました。 その時、小碓尊は『わたしは弓を射るのが上手...

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【飾り山笠】 十七番山笠 キャナルシティ博多

<<飾り山笠紹介 激闘三太刀(げきとうみたち) 置鮎 琢磨上杉謙信と武田信玄との川中島での戦い。信玄の本陣に謙信が斬り込みをかけた。 謙信は、床几に座る信玄に三太刀にわたり斬りつけ、信玄は軍配をでこれを受けた。 頼山陽はこの場面を『流星光底長蛇を逸す』と詠じている。 ゴジラ博多上陸(ごじらはかたじ...

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