【福岡市博物館に山笠を展示しています】博多の伝統と魅力を発信するため、福岡市博物館1階のグランドホールに通常の1.5倍の高さで製作された舁き山笠を展示していますので、是非博物館にお越しいただき、迫力ある山笠をご覧ください。この山笠は、福岡・世界マスターズ水泳九州大会の期間、マリンメッセ福岡において、世界中から...
櫛田入り・一番山笠 土居流 34秒35 ・二番山笠 大黒流 35秒53 ・三番山笠 東流 30秒29 ・四番山笠 中洲流 37秒16 ・五番山笠 西流 33秒40 ・六番山笠 千代流 32秒73 ・七番山笠 恵比須流 33秒08 ・八番山笠 上川端通 62秒64全コース・一番山笠 土居流 33分01秒 ・二番...
櫛田入り・一番山笠 土居流 36秒12 ・二番山笠 大黒流 35秒80 ・三番山笠 東流 31秒30 ・四番山笠 中洲流 37秒89 ・五番山笠 西流 33秒53 ・六番山笠 千代流 32秒45 ・七番山笠 恵比須流 32秒94 ・八番山笠 上川端通 62秒18全コース・一番山笠 土居流 28分38秒 ・二番...
飾り山笠紹介(令和5年度)の飾り山の写真撮影は、九州産業大学芸術学部 写真・映像メディア学科 学生さんの協力によるものです。
「飾り山笠紹介(令和5年度)の飾り山の写真撮影は、九州産業大学 芸術研究科・芸術学部 写真・映像メディア学科の学生 さんの協力によるものです。」https://www.hakatayamakasa.com/153726.html
飾り山笠は、7月1日から15日の午前0時頃まで福博の町、13ヶ所で公開される。 櫛田神社に向いた面を「表」とし、その後方を「見送り」と呼ぶ。 それぞれ 博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。 以前は高さが16メートルあった山笠を舁い...
<<飾り山笠紹介 歌舞伎十八番暫(かぶきじゅうはちばんしばらく) 人形司 武平 舞台は、鎌倉・鶴岡八幡宮。天下を手中に収めたかのように思い上がっている悪人・【清原(きよはらの) 武衡(たけひら)】は、臣下の【鹿島(かしま)入道震(にゅうどう)斎(しんさい)】、【那須九郎(なすのくろうの)妹(いもうと)照(てる...
<<飾り山笠紹介 龍虎相討川中島(りゅうこあいうつかわなかじま) 生野 四郎 「川中島の戦い」は、熾烈を極めた永禄4年(1561)の八幡原の激戦が広く知られています。実際には北信四郡(北信濃の高井郡・水内郡・更級郡・埴科郡)を戦場にして12年、5度にわたる長い戦いでした。 戦いの理由については諸説ありますが、...
<<飾り山笠紹介 龍王兎伝説(りゅうおううさぎでんせつ) 小副川 太郎 今から七百年ほど昔のこと。大応国師という禅僧が南宋で修行の末、悟りを開きました。帰国の際、峰でオオカミに追われた白うさぎを助けます。船に乗った国師は大嵐に見舞われました。うさぎが荒れ狂う海へ飛び込むと波はなぎ、平らな道に。うさぎは八大龍王...
<<飾り山笠紹介 合戦四條畷(かっせんしじょうなわて) 置鮎 正弘 「四條畷の戦い」は朝廷が南北二つに分かれて覇権を争った南北朝時代の正平三年/貞和四年一月五日(千三百四十八年年二月四日)に起きた合戦で、南朝方の楠木正成の嫡男、楠木正行と足利尊氏の家臣、高師直との戦いを描いています。四條畷は河内国讃良郡野崎(...
<<飾り山笠紹介 曾我の夜討(そがのようち) 中野 親一 曽我の夜討とは、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野にて討った事件。工藤祐経は、1176年10月、源頼朝も参加した、伊豆・奥野の狩り場から戻る途中...
<<飾り山笠紹介 龍虎決戦川中島(りゅうこけっせんかわなかじま) 川﨑 修一 戦国時代、甲斐の虎と呼ばれた武田信玄と、越後の龍と呼ばれた上杉謙信は、信濃の川中島で互いのプライドを懸けて対決した。中でも四度目の戦いは、信玄の本陣目掛けて謙信の単騎切り込みという戦国でもまれな戦いとなった。 音二郎一世風靡(おとじ...
<<飾り山笠紹介 家康太平志(いえやすたいへいをこころざす) 白水 英章 長い人生を歩む家康ですが今回は旗印として長く使われる「厭離穢土欣求浄土」に出会った頃の若き家康にフォーカス。 桶狭間の戦でのまさかの敗戦で主君を失い茫然自失の中この言葉に出会い再起を誓います。天下太平を目指すその姿を現在のコロナパンデミ...