櫛田入り・一番山笠 大黒流 35秒62 ・二番山笠 東流 31秒36 ・三番山笠 中洲流 38秒36 ・四番山笠 西流 37秒09 ・五番山笠 千代流 34秒47 ・六番山笠 恵比須流 34秒07 ・七番山笠 土居流 35秒20 ・八番山笠 上川端通 67秒96全コース・一番山笠 大黒流 32分52秒 ・二番...
櫛田入り・一番山笠 大黒流 40秒00 ・二番山笠 東流 31秒23 ・三番山笠 中洲流 36秒18 ・四番山笠 西流 35秒14 ・五番山笠 千代流 32秒55 ・六番山笠 恵比須流 35秒32 ・七番山笠 土居流 35秒30 ・八番山笠 上川端通 74秒58全コース・一番山笠 大黒流 28分09秒 ・二番...
飾り山笠紹介(令和6年度)の飾り山の写真撮影は、九州産業大学芸術学部 写真・映像メディア学科 学生さんの協力によるものです。
「飾り山笠紹介(令和6年度)の飾り山の写真撮影は、九州産業大学 芸術研究科・芸術学部 写真・映像メディア学科の学生 さんの協力によるものです。」https://www.hakatayamakasa.com/161875.html
7月1日 注連(しめ)下ろし 祭り初日に舁き山笠の流区域を清める行事。 町の角々に笹竹を立て、注連縄を張り、町を祓い清める。 祭壇を設け、櫛田神社神官が祝詞をあげ、期間中の安全を祈願する。 恵比須流だけは一ヶ月早く、六月一日に実施する...
飾り山笠は、7月1日から15日の午前0時頃まで福博の町、13ヶ所で公開される。 櫛田神社に向いた面を「表」とし、その後方を「見送り」と呼ぶ。 それぞれ 博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。 以前は高さが16メートルあった山笠を舁い...
<<飾り山笠紹介 奇襲桶狭間(きしゅうおけはざま) 溝口 堂央 永禄三年五月十九日(一五六〇年六月十二日)織田信長軍と今川義元軍との合戦東海の覇者今川義元が上洛の足がかりとして尾張の織田領内に侵攻今川軍(二万五千)は順調に数々の戦い勝利し大いに悦び桶狭間で休息をとっていた。昼すぎ視界を妨げる程の豪雨が降り織田...
<<飾り山笠紹介 御伽話かぐや姫(おとぎばなしかぐやひめ) 白水 英章 現存する日本最古の物語といわれる「竹取物語」は今もなお大変親しまれている昔話です。雅な天上界の女性への憧れと畏れを描いた物語を豪華絢爛に表現しました。光り輝くかぐや姫の姿は、世の中を明るく照らす標として輝き続け、後世に受け継がれていきます...
十数か町(旧町)を束ねた組織の呼称。 今では博多祇園山笠や博多松囃子といったお祭りで耳にするだけであるが、江戸時代を通して日常生活に密着した自治組織だった。現在の校区自治連合会に相当するといえるのではないか。 大陸貿易で栄えた博多は戦国時代、せめぎ合う大名、豪族の争奪の場となり、兵火に遭って焼け野原と化した...
<<飾り山笠紹介 鏑矢一箭 抜 日輪(かぶらやいっせんにちりんをぬく) 小島 慎二 元暦(げんりゃく)二年(一一八五年)二月、源(みなもと) 義経(よしつね)は、四国屋島に陣をしいていた平家を背後から攻めたて、慌てた平家は船で海上に逃(のが)れ、陸(おか)の源氏と対陣することになります。夕暮れになった頃両軍が...
<<飾り山笠紹介 大江山酒呑童子(おおえやまのしゅてんどうじ) 中村 信喬 時は平安。丹波国大江山に酒呑童子という鬼が住んでいました。あちこちに出没し、京の都から金銀財宝や美しい貴族の姫君をさらっていました。帝に討伐を命じられた源頼光は、四天王と呼ばれた渡辺綱、坂田金時らを従えて大江山へ。鬼の館に山伏として潜...
<<飾り山笠紹介 日本振袖始(にほんふりそではじめ) 生野 四郎 「日本振袖始」は、古事記・日本書紀に記された出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)伝説をもとに近松門左衛門が書き上げた演目です。 出雲国の山奥に八つの頭をもつ大蛇・八岐大蛇が住みついていた。村人はその祟りを恐れ、生贄として毎年一人ずつの美しい娘を差し...
<<飾り山笠紹介 武門之棟梁清盛(ぶもんのとうりょうきよもり) 小副川 太郎 平清盛は、平安後期に最初の武家政権を築いた英傑である「保元の乱」で戦功を挙げ、大宰府政庁長官級の官位を得て、博多を掌中のものとする。清盛は博多商人を通じた日宋貿易を押し進め、財力。や権威は飛躍的に高まった。京での騒乱は続き、「平治の...
<<飾り山笠紹介 黒田鍋島天神大普請(くろだなべしまてんじんびっぐばん) 置鮎 正弘 慶長年間、黒田(くろだ)長政(ながまさ)が福岡城を普請(ふしん)(工事)した際、関ケ原で西軍についた鍋島(なべしま)家を黒田長政が徳川(とくがわ)家康(いえやす)に執り成して東軍につかせたことに感謝し、肥前佐賀藩の藩祖である...